島ヶ原から地方を考える

先週末、小屋作りの第2回施工日に三重県の島ヶ原まで。今回からいよいよSPACE棟の建設。

10/6 11時から施工開始なので、7時起きで現地に向かうも、大工が他の現場から戻らず昼食後にスタート。土台 の寸法からいきなり間違い始めるが、徐々にペースが上がり始める。複雑な上に部材の多い建物なので、難航しつつ1日目は土台に柱が付いた状態で終了。頭繋 ぎが無く、45□の柱が揺れていてなんとも危なげで、今にも倒壊しそう。隣の吉永棟は1回目の塗装が終わった状態で終了。

夕食後に温泉に入り、穂積家に泊まりに。しかし、これまで男子学生はテントで女子は製材所の上で寝ていたが、余りの寒さに男子から泣きが入り、男子が製材所の上、繰り上がりで女子は穂積家1階で泊まることに。

10/7 朝食後、作業再開。スペース棟は軸組の続き。順番を間違うと付かない部材があるので、大工のサポートをしつつ寸法チェック。どうやら、大工は伝 統建築のカンで作っていこうとしてるようだが、なかなかそうもいかない様子。昼食等の休憩をはさみつつも、なんとか柱を水平に繋ぐ。

10/8の現場監理を このプロジェクトの学生責任者の内田君に任せるべく、図面と施工手順を説明。吉永棟の完成を見届けた後、学生の群れに見送られつつ帰宅。翌日、何度か電話 があったが、屋根の梁掛けまでは終わった模様。お疲れです。写真は2日目の終わり。

このプロジェクトをやっていて感じるのは、我々が作る建築が、地域の人に期待され、喜ばれているということだ。そんなに当然のことでは無い。昨今、都市部 での建築(特に公共建築)への期待は薄い。地方都市での建築に対する期待は遙かに大きく、切実である。そういった現れの1つかもしれない。

これまで建築家は、大都市の問題に多く取り組んできた。しかし、それと表裏の関係にある地方都市や、人工過疎地の問題にはそれほどには取り組めていない。 今後、バブル時代の箱モノとは違った方法で、建築家が地方に踏み込んでいくことが、より必要になるのではないだろうか。と、ちょっと考えてみた。