2011/11/23 23:07
11月21日の月曜日、先日ブログでご案内していましたトークセッション「Another Point of View-住宅設計をめぐる異なる視座からの議論-」が、大阪市立大学生活科学部の製図室を利用した見事なレクチャースペースで行われました。
会場は、市大以外の学生さんや、思いのほか幅広い年齢層の社会人の方々にもたくさん来ていただき、開始前から定員50名を余裕で超える盛り上がり。
同世代4組によるトークセッションでしたが、今までもよく顔を合わせていたメンバーではあり、それぞれの作品について意見交換したことはありますが、きちんとした場で、作品を前にしての議論は始めてでした。まずは、各組10分程度で作品の紹介。
その後、一組の作品を残りの3組が批評し議論するという会の構成でした。
差異は明らかな4組ですが、共有できる言語を探るような議論。そこに新しい世代性が見えてくることを期待しました。一組1作品のプレゼンでしたが、それぞれのスタンスや思想、いったい何に興味があって何に興味がないのか。がよくわかりました。
今回は、私は議論の中にではなく、一観客として聞いていたのですが、議論を客観的に見てSPACESPACEが(香川が)言葉の定義を大切にし、設計のひとつひとつをきちんと言語化しようとしているところがひとつの特徴なんだと感じました。
遅ればせながら今、坂本一成先生著の『建築に内在する言葉』を読んでいるのですが、読んでいて、なんと言っても言葉に対する執着心というか、こだわりが凄いと感じています。とにかく、その言葉をどういう意味で使っているのかという定義の説明が多い。普通なら「こういう意味で著者は使っているんだろう」と読み手が勝手に解釈してとおりすぎてしまいそうな言葉に対しても、細かく定義づけがされている。言葉の定義をあいまいにしない。それはすごく大切なことだと最近つくづく感じています。
先日学校で、最近卒業設計に取り組む学生から、「先生たちが言っていること、その場では分かった気になるんですが、後からよくよく考えると分からなくなる。先生たちはいつも難しい言葉を使う。先生たちは当たり前に使っている言葉なのかもしれないけど、僕たちにはその言葉の表すことがおそらく本来の意味以外のことを含んでいて、自分の解釈が間違っているんじゃないかと思うことが多い」というような相談を受けました。
確かに、わたしたちは暗黙の了解の中でその意味を共有しているものと思い込んで使っている言葉があるように思います。ちょうどこのトークセッション中にも出てきた「建ち方」のように。そこから、彼らが疑問視していた「言葉(単語)」をひとつひとつ彼らの思うその言葉の定義を聞き、一方で私の定義を説明してみたのですが、どうも全体の文脈からすると、その先生は別の定義で使ったんじゃないかと思うものがいくつかありました。最初の定義がちがうと、解釈はどんどん違う方向に進んでいく。当たり前のことです。そんなこともあり、最近つくづく言葉の定義の大切さを感じ、回り道になっても、多少くどい説明になっても自分がこの言葉はこういう意味で使ってるんだということを常に意識し、伝えるべき相手には伝えることを心がけています。
話はそれてしまいましたが、そういう意味も含めて、4組の差異が見えてよかったと思っています。作品を前にして話すからこそできる議論だったとも感じました。こういう機会はとてもいいものですね。またこういう機会が持たれることを期待しています。
最後に、このような場を企画していただいた、タトアーキテクトの島田陽さん、モデレーターをしていただいた倉方俊輔さん。そして、開催にあたりいろいろご尽力していただいた、大阪市立大学生活科学部の小池志保子先生。お忙しい中発表を聞いていただいた竹原義二先生。また、会場設営や懇親会の準備などをがんばってくれた学生さんの方々にこの場を借りて、お礼を言いたいと思います。
本当にこのような機会を与えていただきありがとうございました。